2023年、世界の終わりが来てしまった。
『チバユウスケさん 死去』
信じられない、信じたくない見出しがネット上に。
多くの著名人による思い出話や嘆きのツイートが溢れて、現実なのだと思い知った。
4月の活動休止発表で心配し、ほぼ毎日祈りを捧げていた。
しかし、11/26に家族に見守られながら亡くなったと12/5に公式に発表があった。
11/26は競馬のジャパンカップをテレビで観たりして、その後もいつも通りの毎日を過ごしていた。
12/5に私が知るよりもずっと前にチバユウスケはこの世からいなくなっていたのに、いないと知った瞬間から急に世界の空気がどんよりと重く、暗くなった気がした。
街ではクリスマスソングが流れているのに、何も楽しくない。
まるで近い親族が亡くなったかのように悲しくて、ふとした時に涙が出てしまう。
これからもう新曲も聴けないしライブもないんだ…と思うと残念で残念で仕方ない。
このブログにはなぜか書き残していないけれど(自分でも謎)、2017年11月25・26日はZepp DiverCityでライブがあった。
特に11/25の方は神がかっていて、『月の上のイライザ』では泣けてしまって、ステージを見つめながら一人で泣いてた。
これからあと何回こんな素敵なライブに来られるだろうか、とその時ふと思ったことを覚えている。
チバユウスケもメンバーも全員元気で、私自身も元気でなければライブは見られないのだから。
それからはライブの度に「お互い健康でいましょうね。。。」とテレパシーを送っていた。
2022年12/8の中野サンプラザ。
いつもなら去り際に「またね!」と言ってくれるのが、この日はなかった。
この日は夫も同行していて、今日はまたねがなかったけど機嫌が悪かったのかな。。。なんて帰り道で話していた。
年が明けて1/1に6月のツアーの発表があり、すぐに申し込んだ。
無事に当選して6月を楽しみにしていた矢先の活動休止。
そしてそのまま帰らぬ人になるなんて、本人だって予想していなかったに違いない。
あの日、「またね!」がほしかった。
脳内ではいつでも再生できる。今まで何回も聞いてきたから。
でも、あの日「またね!」って聞きたかった。
そしてまたライブで会いたかった。
いつかはこんな日が来るとは思ってはいた。
でもそれは今ではなくて、せめて20年後くらいに来てほしかった。
「もうライブできねーわ」って、私含めてファンの多くもみんな歳取っちゃってお互いにライブはキツイよねって状況まで毎年会い続けたかった。
ライブ中は狂犬のようだったミッシェル時代を経て、複数のバンドやソロ活動、ミッシェルと同じくらい長く続けているThe Birthdayで愛を歌い出した時はそれはそれは驚いた。
愛と平和と光。LOVE&PEACEはロックの基本である。
チバユウスケも40代になり、大人になって…としみじみした。(※チバユウスケの方が年上です)
他にもよく出てくる単語は夜や星や冬や煙や犬や猫や鳥。
あまりご飯を食べない印象があるので、歌詞に食べ物が登場すると「おっ?」と思ったりした。
チバユウスケは素晴らしい詩人でもあった。
結果的に最後の作品となってしまった『月夜の残響ep.』。
3曲目の『スカイブルー』の歌詞は
♪Come on the end of the world(実際の歌詞は カモンジェーン!ドボザワール!←チバユウスケの照れ隠しだと私は勝手にそう思ってる)
来れるのなら来てみろよ ♪
ミッシェルでのデビューから30年近い歳月を経て、世界の終わりのことを歌う日が来るとは…と、また一人しみじみした。
デビュー曲『世界の終わり』では
♪世界の終わりがそこで見てるよと
紅茶飲み干して君は静かに待つ
パンを焼きながら待ち焦がれてる
やってくる時を待ち焦がれてる ♪と
待っていたのに対して、
『スカイブルー』では
♪来れるのなら来てみろよ ♪ と挑発するかのような強気な歌詞になっていて、それなのに曲調は優しくて、ミッシェル時代から長年見続けて来たチバユウスケの心境の変化が興味深いと思った。
そしてきっとこの歌詞のように強気で戻って来てくれるだろうと信じていた。
闘病生活中はおそらく禁酒禁煙で、どんなに辛かったことだろうと想像する。
タバコとビールが病気の原因の一つだったかもしれないが、それらはチバユウスケを象徴する大切な物だった。
ラッキーストライクとバドワイザーを目にする度に、今まで同様チバユウスケのことを連想するのだろうと思う。
(2019年タワレコカフェでの展示物)
『スカイブルー』の歌詞の好きな部分は他にもある。
♪Come on the end of the world
来れるのなら来てみろよ
Come on the end of the world
僕らはまだここに立ってる
Come on the end of the world
雨ざらしのサンダルで
Come on the end of the world
走り抜けた お前の先へ
雨ざらしのサンダルで 走り抜けたお前の先へって部分に、応援してもらえてる気持ちになる。
走るのはベランダ用の適当なサンダルでも良いんだよって、人生を肯定されてる気分。
この先も新しい歌を聴きたかったなあ。
全ての曲をこれからは置き土産と思って大事に聴いていきたい。
改めて私の人生に常に居続けてくれて本当にありがとうございますと伝えたい。
貴方がいたから出会えた人が沢山います。
最大級の愛と感謝を込めて。
今頃はあの世でアベフトシと一緒に缶ビール片手に往年のロックスター達が集うフェスでも見ていてほしいなと思う。